戦時中の貨幣発行

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用証券

日本 軍用証券 1944年 日本 軍用証券 1944年裏

 

軍用証券 壹千圓 中華民国 三十三年

 

 

サルディニア 100リレ軍用証券    裏サルディニア 

軍用証券 イタリア・サルディニア100リレ

 

軍隊の作戦行動には莫大な軍資金を要するのが常識である。古来より物資の調達

や傭兵隊の給与など、軍司令部や司令官がその支払いのために貨幣を発行した形跡

は、それこそ随所に見出すことが出来る。

古代ギリシアでは、紀元前4世紀にカルタゴがシチリア島に進出した際、傭兵隊

への給与支払いにテトラドラクマ銀貨を製造、その証拠を後世に伝えた。これらに

はカルタゴを象徴する馬や椰子の木を描いており、表面のアレトゥサやヘラクレス

像が、外地での製造貨幣であることを物語った。

国内使用のタイプは、冥府の女神タニットが描かれてきた。

古代ローマでも共和政時代、ユリウス・カエサルの軍がやはり移動造幣所を有し

ており、象を描くデナリウス銀貨を大量に発行していたのだ。これらも貴金属貨幣

であって、支払を受ける側に対価の保証をしていた。

古今東西を問わずに外地の遠征は戦費をいかに運搬するか、これが重大な問題と

なった。1853年に勃発したクリミア戦争では、イギリス軍はロンドンから軍用

列車でドーヴァーまで運び、船でクリミア半島の戦場まで運搬した。このとき強奪

を企てた一味があり、映画化にもなったほどだ。

このときの軍用金は、ヴィクトリア女王のソヴリン金貨である。

その直後の1859年に、イタリアではサヴォイア家による国家統一の動きが盛

んになり、愛国者のジゥゼッペ・ガリバルディ(1807―82)は志願兵を集め

、赤シャツ隊を編成してシチリア島、ナポリ、カラブリアなどの地方を制圧、これ

らをサルディニア王ヴィットリヨ・エマヌエ2世(1849-61/イタリア王61

-78)に献上した。

更にローマへの進撃を企て、ガリバルディは軍資金を得る為、軍用証券を発行し

て募集を計画する。この額面は100リレで、支配地域の有志に引き受けさせた。

この価値は量目32.2580gの金貨に相当、現在の金価格からすると13万円

程度と言える。当時の購買価値だとその何倍にも感じられたはずである。

ここに示した軍用証券の手書きナンバーは2287番だから、少なくとも22万

8700リレを調達したことになる。ガリバルディはそれらの1枚1枚に、自らの

署名をすべて自筆でやった。けれど彼自身は雄途のさなか重傷を負ってしまったが

、イタリア統一の最大の英雄として歴史に名を留めた。

1861年から65年にかけてのアメリカ南北戦争に際しては、戦端が開かれた

直後から多くの州(南部諸州が多かった)が、戦時国債とワラント債(保証債券)

が発行された。これらのなかに軍用証券の範疇に入るものも少なくない。また、軍

票の性格を有するタイプも見出せた。時代的に考えてこれが世界最初の軍票と考え

られた。

 

明確な形で軍用証券が登場したのは、昭和19年(1944年)の<大日本南支派

遣軍司令官>の名の下に発行された、中央儲備銀行券との兌換券である1000円額

面のものだ。これは広く紙幣として流通したと思われ、何しろ美品以下の状態のものばかりが目につく。

STANDARD CATAROG OF WORLD PAPER MONEYでは、未使用紙が評価不能とされている。

面白いことにこの発行者――南支派遣軍司令官は、1944年の時代で存在して

いない。すなわち、この方面の軍司令官は二人だけで、昭和15(1940)年2

月10日から15年10月5日までが安藤利吉中将、15年10月5日から16年

6月28日までが後宮(うしろく)淳中将が在位した。それを最後に軍司令官、参

謀長、参謀副長が移動となり、部隊は南部仏印へと転じたのだった。つまり<南支派

遣軍>は南支郡に存在しなかったことになる。

しかしながら<大日本南支派遣軍司令官>の名において、この軍用証券が発行され

たのだから奇妙な出来事と言えるだろう。印刷されたのは香港だと考えられるが、

戦争末期の物資不足の条件下の為、用紙には皺が目立っており、インクの汚れも珍

しくない。

やがて日本の傀儡(かいらい)である中央儲備銀行の紙幣も価値が下落し、

それとリンクした軍用証券もまた交換レートの低下を招く。

そして終戦によって現地では無価値状態となった。

それが逆に今日の稀少化を生じたのである。

このように戦地における戦費の調達は、あらゆる手段を用いて実施された。

日本軍が昭和16(1914)年に香港を占領したとき、中華民国の紙幣を刷っていた

印刷所を押え、莫大な量の紙とインク、そして印刷機械を手中に収めた。これらは

小田急線の登戸にあった陸軍の研究所へ送られ、大量の法幣(政府発行紙幣)を刷

、中国大陸で物資調達に使用した。それも歴史の1ページであった。

 

平木啓一

2016.5.18|アジア ギリシャ/ローマ ピックアップ記事 人気記事一覧 紙幣について 貨幣の歴史

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