ガーター勲章
ヴィクトリア・クロス〈赤が陸軍用、青が海軍用〉
レジョンド・ヌール勲章
貨幣蒐集には、コイン、メダル、紙幣が一族として扱われており、これらを同時進行で進める人も少なくない。
それらに最も近い存在が勲章のコレクションと考えてよい。
勲章を授与された者、もしくは子の代までは大切にして保存される。
しかしながら祖先の勲功のことなど念頭にない、孫の代以降になると売却されるケースも珍しくない。
「大勲位菊花頸飾」が最高の勲章として知られるが、勲1等旭日大綬章あたりがコレクションとして最高レヴェルと味方してよいだろう。
日本やドイツのように対戦に敗北した国家は、社会規範が崩れ価値感が変貌したことで、名誉の象徴の勲章などが流通したのである。
勲章は外国語だと、ORDER,MERIT(E),DECORATIONなどと表記される。
THE ORDER OF THE GARTER〈ガーター勲章〉とかPOUR LE ME’RITE(ブルーマックス勲章)という、世界的に有名な勲章の語源による表記だ。
「ガーター勲章」はイギリスの最高勲章として名高く、佩用できるのはわずか25人だけ、という僅少さで知られる。
国王〈女王〉や皇太子は例外だが、それ以外の貴族が25人だから少ないといえる。
佩用者がこの世を去ると、返還することになっているので、市場に出る機会は皆無に近い。
イギリスの戦功章―戦争で抜群の勲功を立てた軍人に対する勲章は、やはり「ヴィクトリア・クロス」だろう。
1853年のクリミア戦争時に制定されたが、1世紀半以上の歴史を有する中で、辞退者はたった一人という名誉ある存在である。
そのヘクター・マクドナルド曹長は、もうひとつの選択技――将校への昇進をとったのだった。
ドイツでは前述の〈ブルーマックス勲章〉が、〈ヴィクトリア・クロス〉と同格の戦功章として名高い。これを2度授与された軍人は、1917年と18年のマクシミリアン・ホフマン中将であった。彼は日露戦争で日本軍に観戦武官として従軍、14年のタンネンベルク会戦の作戦立案者である。
日本の金鵄勲章も功3級以上はこれらに匹敵するが、イギリスやドイツとの相違点は将校でないと資格のない点でもあった。
〈ブルーマックス勲章〉と、〈ヴィクトリア・クロス〉は必要とあらば2等兵にも与えられたのだ。
フランスにはナポレオン1世が1802年に制定させた、「レジョン・ドヌール勲章」という戦功章が見られる。
そのグランド・コマンダン――最高指揮官は、共和政の下でも踏襲されてゆき、訪仏した山縣有朋元帥(中将時代)が授与されている。
他国はどこもが優美な勲章を有するが、意外な国が思いがけない美しい勲章をというケースも見出せる。
その代表的な例がイギリス植民地下のインドだろう。
1877年にヴィクトリア女王が「インド女帝」となり、それに関連したのが「ヴィクトリア勲章」IMPERATRICS AUSPICIIS(最高権力の女帝)という
1000分の917の金製であった。
同じインドでジョージ6世の治世下において制定された、「Kaisar-i-Hind」1等勲章は、同じ純度の金製で量目が63.7 グラムという豪華さである。
製造原価はもちろん世界一だ。
ロシアの〈聖スタニスラス勲章〉なども金製だったものが、第一次世界大戦中のタイプは青銅に金メッキとエナメル製になった。
だから終止に渡って高純度の金製だった勲章は、極めて珍しい存在と考えてよい。
このように駆け足で勲章の一部始終を紹介してきたが、これらのすべては超一級の珍品であった。
そうした希少性の高い勲章についての資産価値は言うまでもない。
その範疇には勲章のみならず、メダルや従軍章などが入ってくる。
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