メダルは値上がりするのか、という質問が多い。この回答は「ケース・バイ・ケース」――すなわちそのメダル次第である。 流通市場での使用を目的とするコインは、たいてい万の単位で製造されるため、製造技術の関係上、あまりハイレリーフにするのが難しい。数少ない例外の一つが、アメリカで1907年に発行された、セント=ゴーデン・タイプの20ドル金貨だ。これはセオドア・ルーズヴェルト大統領の命令で、「世界一美しい貨幣」を目指したもので、合計1万1250枚が発行された。 けれどメダルは特定の人物や出来事を記念しており、関係者だけに贈呈される性格を有した。そのため5枚とか10枚、多くとも100枚から200枚だけ、限定製造されたのであった。金製のタイプが高いのは、地金価値に加えて製造枚数が僅少で、現存数――すなわち絶対数が少ないからである。
古代で最も有名なメダルは、ローマ皇帝のハドリアヌス(在位117-38)の寵児――アンティノオスの肖像を描くタイプだ。これは皇帝が彼の死を悲しんで、コリントにおいて製造させており、現在ではわずかしか残っていない。このため2万ドルからの落札価を、何年も前に記録した。 この理由はやはりアンティノオスの知名度、そして稀少性だと言えよう。 コンモドゥス(117―192)は悪帝として名高いが、彼のメダルはかなり大型で、それだけ見ても製造数の少なさが見当つく。これも1万ドルと5桁の値が記録された。ユーピテルの神と表裏をなす。
神聖ローマ帝国では、銀貨と同じ量目でメダリックなシャウターレルを発行したが、そのため流通市場で使用されることがあった。オーストリアでカール5世の大型銀貨が製造されることはなかったが、ドッペルシャウターレルでは存在している。もちろん他の皇帝のドッペルターレルより遥かに高い値が付く。
フランスに90ドゥカットに相当する大型メダルがあるが、これはフランス海軍を率いるトゥーロン公爵を描いたもので、英蘭海軍を撃破したのを記念している。ところがこの海戦に先立つこと11日――1704年8月13日に、オーストリアのプリンツ・オイゲンやイギリスのマルバラ公(チャーチルの先祖)の連合軍が、フランスとバイエルン連合軍を大敗させたため、このブレンハイム会戦が大きく戦史に残った。直径67㎜の素晴らしいメダルで、2000万円近い評価だ。
イギリスのロンドン動物園教会が1826年に製造した金メダルは、5人の功労者に授与したもので、直径77㎜、量目231.5グラムを有する。金品位は1000分の375と低いが、純金を86.86g含有しているから、なかなかのスケールと言える。
イギリスはヴィクトリア女王(1837―1901)の即位に前後して、ウィリアム・ワイオンという優れた極印の刻印師が登場した。若い女王が最初に描かれたのは、貨幣の上でなくメダルであった。これは即位したばかりの彼女がシティを訪問した記念で、銀と銅のメダルに素晴らしい左肖像が見られた。1837年のことで、それから3年後の1840年に登場した郵便切手――ペニー・ブラックに、これが転用されたのは広く知られる。
資産としてのメダルは、まだまだ日本のマーケットで地位が確定されておらず、右から左というわけにはゆかない。しかしながらここで紹介したようなメダルは、国際的な価値がしっかりしており、資産性十分なのは言うまでもない。
即位したばかりのヴィクトリア女王(1837-1901)がシティを訪問した記念メダル
イギリス 金メダル 1826年 ロンドン動物園協会顕影メダル
カール5世 ドッペルシャウターレル
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