紀元前7世紀にリュディアで、金と銀の自然合金――エレクトルム貨を通貨に用いたのが始まりで、それ
は獅子の頭部を刻んだものであった。これが世界最初の貨幣とされている。
ギリシア期はアテナイなどの都市国家が、経済規模の拡大につれ貨幣経済へと移行するにつれ、この便
利な交換手段が主流になってゆく。都市国家のなかでも強い国力を有したアテナイはじめ、シラクサ、カ
ルタゴ、マケドニアなどが中心となった。
やがてイタリア半島の中央――ローマが勃興し、地中海のみならず小アジアにも勢力を伸長させた。そ
して拡大を続けながら、衰勢のマケドニアなどを制圧。ついにイギリスからスペイン、ゴール(フランス
)、ゲルマニア(ドイツ)、更にはティグリス・ユーフラテス河にまで進出した。その発行した貨幣はそれ
らの地において、今日も発掘され往時の繁栄を思い起こさせる。
けれどローマの衰退――中世の暗黒時代の訪れは、貨幣経済どころか貨幣製造技術まで退化させた。ビ
ザンツ帝国などの拙劣な貨幣を見るにつけ、「暗黒時代」を物語っているのが判る。これはルネッサンス
期まで、実に10世紀前後続く。
やがて訪れたルネッサンス期の貨幣は、為政者の肖像を復活させ、同時に大型銀貨の全盛時代へと進ん
でいった。貨幣製造技術も次第に恢復を見せ、やがて神聖ローマ帝国で、イギリスで、ドイツ諸国で、フ
ランスで、素晴らしい技術革新により、多量の貴金属が生産されたことにもよる。加えてスペイン領新大
陸からの莫大な量の銀が、ヨーロッパに大量の大型銀貨を流通させたのである。
フランス革命とナポレオンの登場は、10進法の採用という近代幣制を生み、貨幣製造技術も近代化が
進んだ。それ以前の1600年代後半からは、経済活動も活性化しオランダのような通商国家を生む。やがて
大型金貨もイギリスや神聖ローマ帝国で多く見られた。大型のメダルは、その純金や純銀量に従って、流
通貨としても使用された。
更に大きな金額の交換手段が必要とされた1700年代中期以降、手形や小切手の性格を帯びた紙幣が用い
られるようになり、流通市場の主役となった。
こうして展望してみると、貨幣経済でコインが主役だった時代は、ルネッサンス期以降の大型銀貨の時
代と、見事に一致しているのが判る。これはまた大型金貨の時代でもあった。
ルネサンス期を代表する神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世(1493―1519)のグルディナ―銀貨
コメントはありません。
トラックバックURL